◎秀吉と黄金と天下布武
秀吉は、天下布武のために“黄金”を惜しみなく使いました。
大坂城の金具や瓦に金をふんだんに使い、黄金の茶室にも多くの金箔が使われています。
また、武功を立てた諸大名への恩賞として、秀吉は彫金師の後藤家に命じ、天正大判を作りました。
天正大判の製造技術は、その後徳川氏により、江戸時代の金座を仕切る後藤家の金貨(小判・大判)の製作に受け継がれていきました。
◎秀吉と瓢箪
秀吉は、美濃の稲葉山城攻めの武功により、信長から瓢箪の馬印を使用することを認められました。それ以後、手柄をたてるたびに瓢箪の数をふやしていったという逸話が残っています。
瓢箪は縁起物としても知られており、瓢箪6つの「六瓢」を「無病」とかけ「無病息災」の意を込めて、大切な方への贈り物とされております。
◎秀吉とわらじ
尾張中村の百姓の子として生まれた秀吉は、“日輪”の如く輝き、日の本一の人物に育つようにと、母(なか)が「日吉」と命名しました。
寒中の中、待機中に信長のわらじを懐で温めてから差し出したという逸話は、いくつもの難関を乗り越えてきた秀吉の才能を象徴するものです。